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御城印 賀田城 尼子無二之忠臣 烏田権兵衛勝定

¥300 税込

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家 紋:丸に隅立て四つ目(烏田家)
サイズ:縦15.0cm ✕ 横10.3㎝
仕 様:プリント エコ間伐紙N76.5(広瀬和紙版は販売終了いたしました)
発 送:6営業日内発送(クリックポスト:ポスト投函 )

 出雲国飯石郡来嶋郷「賀田城(かだじょう)」の御城印です。 賀田城は島根県飯石郡飯南町下来島の松本山(標高494m)にあり、現在は出雲国尼子十旗「赤穴(あかな)瀬戸山城」の支城として語られることが多い中世の山城です。

 賀田城にまつわる逸話で最も有名なのが、毛利氏による出雲侵攻時の烏田(からすだ)・森田氏のお話(雲陽軍実記)です。
 毛利元就は石見国を抑え、いよいよ出雲侵攻を開始します。各所に調略の手を広げ、石見・備後・出雲国境最前線である赤穴氏にも降伏を迫りました。この頃には、本庄常光をはじめ三沢・三刀屋氏など石見・出雲国人も続々と毛利氏に与するようになり、赤穴氏も領地・領民のためにも交戦のは無益と開城を決断しました。しかし、譜代家臣の烏田権兵衛勝定と森田左衛門勝経は尼子氏への長年の恩顧に対し忠義を貫くことを主張し、主君と袂を分かちます。
 彼らは、毛利氏に滅ぼされた大内氏の浪人や各国の郎党にも檄を飛ばし、その数2,000に達したと伝わっています。そして、賀田城を要害として琴が峰(琴引山)にも陣屋を構えました。永禄5年(1562年)、毛利軍が赤穴城に着陣すると烏田・森田一揆勢は各地でゲリラ戦を繰り広げましたが、ついに突根尾原(現飯南高校)の合戦で烏田権兵衛は討死し、武士の本懐を遂げました。森田氏は再起を図るため、月山富田城へ敗走しました。長い年月を経て、烏田氏は華々しく討死し、森田氏は逃げ帰ったというイメージが定着してしまっていますが、この時森田氏は烏田氏一族も連れて月山富田城まで護送しています。年代は不明ですが、後年烏田氏は郷里に戻っており、第27代目烏田氏は「現在まで烏田家が続いているのも森田氏のお陰、と祖父や父から伝えられています。」と、語っていました。
 雲陽軍実記『藝州勢赤穴城入 附突根尾原合戦の事』の最後では、毛利元就は赤穴氏に「一揆の大将である烏田・森田両人は、あなたの譜代家臣だったそうじゃないか。なぜ自ら討伐に出陣しない? 何か企んでいるのではないか?」と詰問しますが、赤穴氏は「おっしゃる通りです。両人は、武門の鑑として尼子家無二の志を立て忠義を貫くべきと私どもの不忠を諫めましたが、不本意ながら私は利害得失を計り主君に不義をいたしました。本来、武士としての人道と正路は彼等にあり、敵味方に別れたとはいえ、忠義一徹の両人を私は討つことができません。それでもご不審であれば、毛利家の軍律に従って如何様にもしてください。」と、憚ることなく正直に申し開きをしました。この態度に感服した元就は「なる程、尤もである。それにしても誠に天晴れな主従。右京亮(赤穴氏)は古今の義者。烏田・森田両人もこの世では珍しい忠臣、まるで殷(古代中国)の伯夷叔齊のようだ。これほどの義の者が味方についてくれたら、どれほど心強いであろうか・・・」と、述懐したと記されています。
 
 さて、賀田城の麓には効能豊かな黄金の湯が湧いています。ぜひ、訪城と合わせて日帰り温泉「加田(かだ)の湯」で癒されてください。また、烏田権兵衛への愛着をこめたお食事処「ごんべい茶屋」では、地元のおかあさんの素朴でおいしい手料理が味わえます。さらに、当御城印が直接購入できるのも加田の湯のみとなっております。(臨時休業がありますので、ご来湯前にご一報をお勧めします。0854-76-3357)
 
 御城印の家紋は烏田家に伝わる「丸に隅立て四つ目」で、忠義を尽くした尼子氏の家紋「平四つ目結」と似ている点もうなづけます。また、槍を持った少年は烏田家に代々伝わる「烏田権兵衛の槍」(写真)を持った第25代当主の少年時代(当時12歳)の姿からオマージュしたものです。
 お近くの赤穴城をはじめ、日本100名城月山富田城(車で90分)、郡山城(車で70分)と合わせて賀田城にもお越しください。無名ながらも武士の鑑として戦国の世に散った一人の武将の生きざまに想いを馳せてみてはいかがでしょうか♬

<賀田城>
https://www.satoyamania.net/69/

<賀田城パンフレット ダウンロード>
https://www.satoyamania.net/pamphlet/

<賀田城 Youtube>
https://www.youtube.com/watch?v=9c5R2lmR204

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本丸・最高の眺望まで25分♪

 賀田城は大規模な山城ではありませんが、山城を愉しむ要素である遺構(土塁・虎口・堀切・竪堀など)が揃っており、山城研究の専門家からも「まるで山城の教科書みたいですね」と表現されています。また、出雲国の山城では珍しい「連続竪堀群」が遺っているのも魅力の一つです。
 主郭から東側は眺望抜群で目の前には烏田・森田氏が陣を構えたと伝わる琴引山(1,014m:おにぎりの写真)、国立公園三瓶山、雪山登山で有名な大万木山、赤穴瀬戸山城も望むことができます。ぜひ頂上でお弁当やコーヒーを召し上がってください。おいしさ倍増です。登山口から本丸までは約25分、地元の方が綺麗に整備してくれていますので、スニーカーでも大丈夫です。お車は温泉加田の湯の駐車場をご利用ください。加田の湯から登山口までは徒歩3分です。

烏田氏家紋「丸に隅立て四つ目」と「槍を掲げる少年」

 烏田氏の家紋は「丸に隅立て四つ目」。家紋の所以は不明ですが、最期まで忠義を尽くした尼子氏の家紋「平四つ目結」(下図)に似ている点もうなづけます。また、槍を掲げる少年は「烏田家に代々伝わる烏田権兵衛勝定の槍を持つ少年(第25代目)」(下図)の姿からオマージュしたものです。

尼子氏家紋「平四つ目結」

 烏田氏の家紋が主君赤穴氏ではなく、尼子氏と似ている理由については資料が残っておらず定かではありません。何らかの恩賞として尼子氏から赤穴氏を通じて、平四ツ目結びを崩した家紋の使用を許されたのか、または後年になって尼子氏への敬意から家紋を変えたのか・・・歴史ロマンを感じますね。

歴史書 雲陽軍実記

『赤穴城内評議 附森田烏田等義心の事』(雲陽軍実記)

『赤穴城内評議 附森田烏田等義心の事』(現代語訳)

出典:新雲陽軍実記(戦国ロマン広瀬町シリーズ⑥):ハーベスト出版

『藝州勢赤穴城入 附突根尾原合戦の事』(雲陽軍実記)

『藝州勢赤穴城入 附突根尾原合戦の事』(現代語)

出典:新雲陽軍実記(戦国ロマン広瀬町シリーズ⑥):ハーベスト出版

ふるさと納税限定御城印

ふるさと納税限定御城印「赤穴瀬戸山城(ゴールド)」「賀田城(ダークネイビー)」+御城印帳3点セットは、お手数ですが下記サイトよりお手続きください。

■飯南町ふるさと納税
https://www.iinan.jp/site/furusatonouzei/

■サイト例(ふるさとチョイス)
※他サイトでも掲載しております。
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/32386/5210976

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